杉山三代の紹介

杉山茂丸 

杉山茂丸(1864~1935)夢野久作の父

福岡出身。20歳過ぎくらいから関東在住。主な住居は 神奈川県鎌倉郡鎌倉町長谷305番地、芝区高輪南町、麹町区三年町、築地、向島など。

黒田藩士で儒学者だった父・三郎平の教えを受け、自由民権運動を行っていた玄洋社の頭山満らと交わり、ともに歩む。25歳で香港に行き「犬と中国人は入るべからず」の言葉に衝撃を受け、日本を植民地にしないために活動を始める。明治~昭和初期にかけて政財界の重鎮らと交流した。自らモグラと称し、公職に就くことを拒否したため、未だ謎の部分も多い。

主な業績

(1)筑豊の鉱区権獲得を頭山満に進言 玄洋社の資金源として確立

(2)九州鉄道設立のために安場保和(後藤新平の岳父)が福岡県令になるように交渉

(3)日露戦争の計画・終戦案の策定に関与 児玉源太郎・山縣有朋・伊藤博文らと交流

(4)朝鮮合邦を推進(閣議決定により朝鮮併合となり朝鮮人友人の信用を失う)

(5)中国の国父・孫文を支援(中国革命日本人支援者名簿は「研究会会報第5号」に掲載)

(6)ラス・ビハリ・ボース(インドの独立運動家)の支援(ボース逃走の車を提供)

(7)日本相撲協会設立と天皇賜杯創設に関与(杉山家資料に入間川訪問速記がある)

(8)金子堅太郎と日本興業銀行設立を計画(杉山家資料に金子堅太郎の口述筆記録がある)

(9)台湾銀行設立を進言(立命館大学中興の祖・中川小十郎を副頭取に抜擢)、台湾に製糖業の誘致を進言

(10)福岡の開発に関与 博多湾築港開発 雁の巣空港設置 九州日報(現:西日本新聞)社主 福博電気鉄道敷設(現西日本鉄道)関門トンネル計画など

(11)文化的業績 死体国有論を示し自らの身体を東大医学部に献体、松永安左衛門に茶の湯を伝授する、義太夫支援、日本最古の週刊誌サンデーの創刊支援、月刊誌黒白発行、25年間築地刀剣会主催など 

(12)人物支援 高杉晋作の息子 板垣退助 後藤隆之助 後藤猛太郎(後藤象二郎の息子)など

著書:百魔・俗戦国策・浄瑠璃素人講釈・刀剣譚・明石大将伝・児玉大将伝など多数 

 

夢野久作

夢野久作・杉山直樹(本名)・萠円・杉山泰道(1889~1936)杉山茂丸の長男 

福岡出身。祖父・三郎平に育てられ、三歳から四書五経の素読を行い、神童と言われる。

東京府豊多摩郡大久保村大字大久保百人町154番地、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町大字千駄ヶ谷544番地に居住した記録がある。

慶応大学文学部中退。近衛歩兵第一聯隊少尉、僧侶、郵便局長、新聞記者、農園主など。

父・茂丸の命により、慶應義塾を中退。現在の福岡市東区唐の原付近にアジア各国が独立した後の農業指導者養成を目指し、4万6千坪の杉山農園を開園。

日本三大奇書「ドグラ・マグラ」を執筆。著作はフランス語、英語、中国語、韓国語に翻訳されている。著作の内容は庶民の側に立った陽明学的な内容に富む。

最近は絵の才能も注目を集めている。「ドグラ・マグラ」は毎年、青空文庫のアクセス数ランキングで10位以内をキープし、近年は文豪ストレイドックスのキャラクターに採用され、若い女性ファンが増えている。

 

杉山龍丸

杉山龍丸(1919~1987)夢野久作の長男

夢野久作とともに杉山農園で生活、自然と農業に親しみながら育つ。小さい頃、ラス・ビハリ・ボースに会う。16歳で祖父・茂丸と父・久作をなくす。自ら志願し、陸軍士官学校へ入学、戦争をやめるため、東条英機暗殺計画に参加したと書き遺している。杉山農園は私物化せずにアジアのために使うようとの遺言に従ってインドの支援を行い、すべての財産を使い切って生涯を終える。夢野久作に関する著作多数。杉山満丸 編著「ふたつの悲しみ秘話」は杉山家の事績と思想の系譜を示す。

 

主な業績

ブータン運動に参加、ガンジーの弟子たちと交流・支援(S.K.Mirmira (インド陶器の父)など)

「インド緑化の父(グリーンファーザー)」といわれ、ギネス記録(38km)の10倍以上の並木(470km)をインドに遺す。また、シュワリクレンジ(3000kmの砂質地帯)の緑化に道筋をつけた。